ようこそ〜あなたの存在が輝くために〜
『 ジャンクション 』 <ブログ509回>
外の気温は徐々に冷え込んできましたが、気持ちの中は
いつもポカポカ気分を維持していきたいですね。
高速道路を運転しているときに、ある場所にくるとジャンクションが
あります。(1本の道路が4つの方向に分かれます)
私は、高速道路に入って一区域も進まないうちに、ジャンクションを
迎えるとちょっと緊張します。
それは、4斜線の一番右側のレーンから、もっとも左側のレーンに移動
しなくてはいけないからです。
何度か使っている高速道路なのですが、車が込み合っている時間に
入ると、ちょっと「ひょえ〜!!」となります。
なんとか、右から2列目のレーンまでは移動できたものの、3列目の
レーンはあまり進んでいない状況です。
ほんのちょっと隙間を開けてもらうために、となりのレーンの車に投げ
キッスをしてみようか??と思うほどでした。
(※投げキッスはしたことはありません・・・)
それでも、その場所より前に進むとあっという間にジャンクションです。
とりあえず、「割り込みさせて〜!」という意思を持って左のレーンに
ぴったりと寄り添っていると、運転手の方が「いいよ、いいよ」と言わん
ばかりに手招きをして下さり、あっさりと割り込みとなりました。(ふう〜)
そして、さらにもう一つとなりのレーンに移ろうと思ったら、車が
速度を上げて走っているのです。
これは、変に割り込みをしては危険かな?と思い、レーンに平行になって、
左のウインカーをつけて、「割り込みさせて〜!」という気持ちを
もって待機することに。
すると数代目の車になって、速度を落としてくれて無事に一番左の
レーンに入ることができました。
状況を見てがっくりとするよりも、「きっとなんとかなる」と思って、
希望をもっていると、「ここぞ!」というタイミングをちゃんと見極める
ことができるんだなあ思いました。
『見よ、私は新しいことをする。今もうそれが起ころうとしている。
(イザヤ43:19)』
『新しいことを私は告げよう。それが起こる前に、あなた方に聞かせよう。
(イザヤ42:9)』
聖書は、神のすばらしい働きを、起こる前に、「見よ」「聞け」といっています。
でも、どうして、肉体的な目で見たり、耳で聞いたりするまえに、見たり聞いたり
することができるのでしょうか?
それは、私たちには肉体的な目や耳の他に、信仰の目と耳があるという
ことです。
すでにあなたが何かを手に入れる前から、あなたの信仰によって、もうそれが
手に入ったかのように、信仰の目で見、耳で聞きなさいと言っているのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、目がまだよく見えていません、
でも、母親の胸に抱かれていると、安心します。
(赤ちゃんは匂いで、自分の母親を認識できるらしいです)
赤ちゃんは、成長するにつれて、だんだんと好奇心おおせいになってきて、
色々なものに興味をもち、一生懸命に目を見開いて見ようとします。
(可愛いしぐさですよね〜♪)
赤ちゃんにとっては、見えるものの使い方や、意味もよく分からないことも
あるので、一つひとつに期待をいっぱい働かせて見ているのかもしれません。
私たちも実際に見えている事柄だけでなく、私たちのためにご計画をもって
働いてくださっている神様からの可能性を見てみたいと思いませんか。
そのためには、まずあなた自身が良いことを期待することから始まります。
『信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。
(へブル11:1)』
次回もお楽しみに。
『 ジャンクション 』 <ブログ509回>
外の気温は徐々に冷え込んできましたが、気持ちの中は
いつもポカポカ気分を維持していきたいですね。
高速道路を運転しているときに、ある場所にくるとジャンクションが
あります。(1本の道路が4つの方向に分かれます)
私は、高速道路に入って一区域も進まないうちに、ジャンクションを
迎えるとちょっと緊張します。
それは、4斜線の一番右側のレーンから、もっとも左側のレーンに移動
しなくてはいけないからです。
何度か使っている高速道路なのですが、車が込み合っている時間に
入ると、ちょっと「ひょえ〜!!」となります。
なんとか、右から2列目のレーンまでは移動できたものの、3列目の
レーンはあまり進んでいない状況です。
ほんのちょっと隙間を開けてもらうために、となりのレーンの車に投げ
キッスをしてみようか??と思うほどでした。
(※投げキッスはしたことはありません・・・)
それでも、その場所より前に進むとあっという間にジャンクションです。
とりあえず、「割り込みさせて〜!」という意思を持って左のレーンに
ぴったりと寄り添っていると、運転手の方が「いいよ、いいよ」と言わん
ばかりに手招きをして下さり、あっさりと割り込みとなりました。(ふう〜)
そして、さらにもう一つとなりのレーンに移ろうと思ったら、車が
速度を上げて走っているのです。
これは、変に割り込みをしては危険かな?と思い、レーンに平行になって、
左のウインカーをつけて、「割り込みさせて〜!」という気持ちを
もって待機することに。
すると数代目の車になって、速度を落としてくれて無事に一番左の
レーンに入ることができました。
状況を見てがっくりとするよりも、「きっとなんとかなる」と思って、
希望をもっていると、「ここぞ!」というタイミングをちゃんと見極める
ことができるんだなあ思いました。
『見よ、私は新しいことをする。今もうそれが起ころうとしている。
(イザヤ43:19)』
『新しいことを私は告げよう。それが起こる前に、あなた方に聞かせよう。
(イザヤ42:9)』
聖書は、神のすばらしい働きを、起こる前に、「見よ」「聞け」といっています。
でも、どうして、肉体的な目で見たり、耳で聞いたりするまえに、見たり聞いたり
することができるのでしょうか?
それは、私たちには肉体的な目や耳の他に、信仰の目と耳があるという
ことです。
すでにあなたが何かを手に入れる前から、あなたの信仰によって、もうそれが
手に入ったかのように、信仰の目で見、耳で聞きなさいと言っているのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、目がまだよく見えていません、
でも、母親の胸に抱かれていると、安心します。
(赤ちゃんは匂いで、自分の母親を認識できるらしいです)
赤ちゃんは、成長するにつれて、だんだんと好奇心おおせいになってきて、
色々なものに興味をもち、一生懸命に目を見開いて見ようとします。
(可愛いしぐさですよね〜♪)
赤ちゃんにとっては、見えるものの使い方や、意味もよく分からないことも
あるので、一つひとつに期待をいっぱい働かせて見ているのかもしれません。
私たちも実際に見えている事柄だけでなく、私たちのためにご計画をもって
働いてくださっている神様からの可能性を見てみたいと思いませんか。
そのためには、まずあなた自身が良いことを期待することから始まります。
『信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。
(へブル11:1)』
次回もお楽しみに。






